カジワラ テルコ   Kajiwara Teruko
  梶原 照子
   所属   明治大学  文学部
   職種   専任教授
言語種別 日本語
発行・発表の年月 2022/03
形態種別 大学・研究所紀要
査読 査読あり
標題 震動するエロティックなBody/Soul――ホイットマンとディキンスンの詩の身体感覚
執筆形態 単著
掲載誌名 『明治大学人文科学研究所紀要』第89冊
掲載区分国内
出版社・発行元 明治大学人文科学研究所
巻・号・頁 89,201-218頁
概要 Walt WhitmanとEmily Dickinsonは約10年前までの研究において対照的な枠組みで捉えられてきたが、2017年のWhitman and Dickinson: A Colloquyを皮切りに両者の比較研究に関心が寄せられるようになった。19世紀の文化との関係を照射する論考が散見されるが、いまだ身体感覚の描き方の比較研究は殆どなされていない。本論は始めに、両詩人の身体感覚の描き方を考察し、共通点として受動的なエロティシズムを明るみに出す。変わりゆく世界を感じ取り、独自の詩の言葉を生みだす身体感覚の反映が、二人の詩作品におけるBodyとSoulの新しい表象である。新しい科学思想が伝統的な宗教と拮抗し、ときに融合していく19世紀の文化潮流のなかで、ホイットマンとディキンスンは伝統的な宗教言説であったBodyとSoulをどのように創りなおしたのか。本論では次に、19世紀の(疑似)科学を背景に、とくにelectricityに着目することで、BodyとSoulの新しい表象を分析する。最後に、その表象がどのように詩的創造力と連結しているかについて論じる。
 ディキンスンのF348とF477やホイットマンの “Song of Myself”第26節において、音楽的・性的な絶頂を経ることによって存在と創造の謎に迫る、という道筋は両詩人の作品に共通している。また絶頂の瞬間を電気的な震動のイメージで描き出す。
 “I Sing the Body Electric”とF1631には、両詩人が(疑似)科学のelectricityの概念を活用して宗教言説のBodyとSoulを創りなおすさまが表れている。二人は、心理的な情動をSoulの機能とみなし、肉体に流出入するelectricityを通して、SoulとBodyは同一のものであると主張する。両詩人は詩のテクストにおいて、electricityとして「震動するエロティックなBody/Soul」を描き出したのである。他者を受動的に受け入れて恍惚となって震動するBody/Soulは、逆に他者に、宇宙の海に向かって電気として流動するエロティックなBody/Soulともなる。ホイットマンとディキンスンにとって、そのような「震動するエロティックなBody/Soul」の身体感覚を具現化するのが詩の創造力だったのではないだろうか。