ストウ イサオ
Suto Isao
須藤 功 所属 明治大学 政治経済学部 職種 専任教授 |
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言語種別 | 日本語 |
発行・発表の年月 | 2014/03 |
形態種別 | 大学・研究所紀要 |
標題 | 創設期の国際通貨基金とアメリカの通貨金融政策、1545-1952年(上) |
執筆形態 | 単著 |
掲載誌名 | 政経論叢(明治大学 ) |
巻・号・頁 | 72(3/4),155-177頁 |
概要 | 本稿は,創設期(1945〜1952年)における国際通貨基金(IMF)のガバナンスと政策を,アメリカ国際通貨金融問題国家諮問会議(NAC)の政策方針との関係から検討を試みたものである。NACは,アメリカがブレトンウッズ協定を批准するに際して制定したブレトンウッズ協定法に基づき設置された関係閣僚(財務長官,連邦準備制度理事会議長,国務長官,商務長官,ワシントン輸出入銀行総裁,経済協力局長官)による政策調整機構で,当該期アメリカの対外通貨金融政策の最高決定機関として機能した。本稿はNACおよび同スタッフ委員会の議事録・付属資料に加えて,IMFの理事会・事務局文書,FRB議長エクルズ文書などの諸史料を利用した。本稿の結論は,次の通りである。第1に,アメリカはIMFの総務会や理事会などでの「発言」と「投票」によって影響力を行使したが,しかし,広く流布してきたように,独断的にIMFを支配して政策を実施できたわけではなかった。英仏など主要加盟国の利害に細心の配慮を払ったのみならず,主要国以外にもIMFに理念に反する複数為替制度,特に自由市場を用いたフロート制を黙認するなど柔軟な政策路線を許容せざるを得なかった。第2に,1952年に過渡期を終了するにあたって,IMFは為替規制を継続する加盟国との間で第14条コンサルテーションを開始するが,アメリカは為替規制を実態に即して容認しようとするIMF事務局やEPU諸国を阻止する一方で,スタンドバイ信用を加盟国一般に拡大することを条件に,為替制限の緩和・撤廃に向けた姿勢を堅持した。 |