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ツジ トモキ
TSUJI Tomoki
辻 朋季 所属 明治大学 農学部 職種 専任准教授 |
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| 言語種別 | 日本語 |
| 発行・発表の年月 | 2025/03 |
| 形態種別 | 学術雑誌 |
| 査読 | 査読あり |
| 標題 | 宮古島・1936 年の諸相-「博愛記念碑」60 周年で描かれなかった事柄を中心に- |
| 執筆形態 | 単著 |
| 掲載誌名 | 島嶼コミュニティ研究 |
| 掲載区分 | 国内 |
| 出版社・発行元 | 島嶼コミュニティ学会 |
| 巻・号・頁 | 12,23-36頁 |
| 総ページ数 | 14 |
| 担当区分 | 筆頭著者 |
| 著者・共著者 | 辻朋季 |
| 概要 | 本稿では、1936 年 11 月に宮古島で開催された「ドイツ皇帝博愛記念碑」の 60 周年式典について、新聞報道や記録が描かなかった事柄に焦点を当てて多角的に評価する。宮古島民によるドイツ商船の乗組員救助と、ドイツ皇帝による記念碑建立(1876 年)の事実は、本土出身者が注目したことで 1930 年代に脚光を浴びる。60 周年式典も、大阪の沖縄関係者が主導して企画され、本土出身の沖縄の官僚により準備が進められ、来賓の大半も沖縄本島の著名人であった。他方で宮古島の人々は、式典の準備に動員され苦労していたことが、式典直前に島を訪れた社会学者の河村只雄という「部外者」の記述から明らかになる。また、式典参加者が利用した 11 月 12 日那覇発の「湖北丸」には、西表島の炭坑に向かう労働者 35 人も乗っていた。だが、式典に向かう名士たちと炭坑労働者の間に、おそらく接点は生まれていない。互いの存在を意識することなく、それぞれの目的地を目指していた両者の存在は、貧富の格差の拡大による社会の分断という時代状況を象徴するものと言える。 |