カジワラ テルコ   Kajiwara Teruko
  梶原 照子
   所属   明治大学  文学部
   職種   専任教授
発表年月日 2024/06/16
発表テーマ 21世紀に読み直すホイットマンのsympathy
会議名 日本英文学会関東支部第24回大会(2024年度夏季大会)
主催者 日本英文学会関東支部
学会区分 地方学会
発表形式 シンポジウム・ワークショップ パネル(指名)
単独共同区分 単独
国名 日本
開催地名 明治大学駿河台キャンパス
開催期間 2024/06/16
発表者・共同発表者 梶原照子
概要 Walt Whitmanは “I am he attesting sympathy” と宣言し、Leaves of Grass (1855)の話者 “I”の精神と振舞いをsympathyで特徴づけた。それゆえ、Studies in American Literature (1923)においてD. H. Lawrenceが辛辣に批評したのもホイットマンのsympathyであった。ロレンスは、 ホイットマンが「共感」をキリスト教の「愛」と混同し、他者への憐憫と「没入」に陥ったと非難した。他者の個別性を尊重したロレンスの観点は、20世紀末にレヴィナスの他者性に依拠した批評において、同一性の詩人批判として反復された。しかしながら、Jane BennettがInflux and Efflux (2020)で論じるように、ホイットマンの描くsympathyはアダム・スミス流の近代的な「道徳的な感情」を超えた「人間以上の大気の力」という物質的な流動であった。身体的な親和性をもたらす伝達物質のsympathyは、古来の語義を維持しつつ19世紀の疑似科学を反映した。近代的な個人の内面から外に流出し、間主観的な関係性において成立するホイットマンのsympathyは、図らずも今世紀の知見を先取りする。例えばTouching Feeling (2003)で情動理論に影響を与えたEve Kosofsky Sedgwickが、1996年にホイットマンと母ルイーザの言葉と欲望の共有に魅了されていたことも示唆的だ。本発表ではホイットマンのsympathyを19、20、21世紀の視点から読み直してみたい。