ノダ マナブ
Noda Manabu
野田 学 所属 明治大学 文学部 職種 専任教授 |
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発表年月日 | 2007/09/30 |
発表テーマ | コミックマンという逸脱 -- ディオン・ブシコーのメロドラマ |
会議名 | 日本ギャスケル協会大会シンポジウム「ギャスケルと演劇的要素」 |
主催者 | 日本ギャスケル協会 |
学会区分 | 全国学会 |
発表形式 | 口頭(一般) |
単独共同区分 | 単独 |
発表者・共同発表者 | シンポジウム・コーディネータ兼発表者、金山亮太(新潟大学准教授)、発表者、新井潤美(中央大学教授)、野田 場所:中央大学駿河台記念館670号室(東京都千代田区神田駿河台) |
概要 | メロドラマの演劇性と19 世紀観念小説との間の「階級格差」とは、視覚的直接性とテクスチャアルな複雑性との差異のことだろう。だが P. ブルックスの『メロドラマ的想像力』(1976) が論じるように、この視覚的直接性は、聖性崩壊後の世界が抱える表象可能性の危機の、反転的イメージなのである。メロドラマにおける過剰なスペクタクルの拡大再生産は、反復的消費行為を必要とする都市型資本主義体制が内包する欠如の政治学なのだ。隠れたる(occult)神は、消費行為の反復を必要とする。19 世紀の観客は、共同体から分断された孤独な消費者として、眼前の「商品」を繰り返し消費したのである。その点でメロドラマの勧善懲悪的オカルト的価値構造は、ヒーローの極端な勇気と美徳に象徴される観念的世界だ。この構造を一方で支えつつ、他方でそれに風穴を開けるのが、やはりメロドラマの定型的登場人物であるコミックマンである。彼は現実的欠点を備えたまま日常世界に踏みとどまっている。本論ではそのコミックマンが事実上主人公となってしまった例を、ディオン・ブシコーの代表作『ショーローン』(1874) に見た。 |