ツジ トモキ   TSUJI Tomoki
  辻 朋季
   所属   明治大学  農学部
   職種   専任准教授
発表年月日 2015/10/04
発表テーマ カール・フローレンツと上田萬年の「翻訳論争」(1895年)と 「その後」をめぐって
会議名 日本独文学会2015年秋季研究発表会
主催者 日本独文学会
学会区分 全国学会
発表形式 口頭(一般)
単独共同区分 単独
開催地名 鹿児島大学
概要 ドイツ人日本学者カール・フロ-レンツ(Karl Florenz, 1865-1939)は、1894年に上梓した詩集Dichtergrüße aus dem Osten: Japanische Dichtungen(『東方からの詩人たちの挨拶―日本の詩歌』)での短歌や俳句の翻訳形式をめぐり、翌1895年に『帝国文學』誌上で国語学者の上田萬年と論争を繰り広げた。これに関し、先行研究ではしばしば、西洋の文学理論に勝るフローレンツが終始論争をリードし、上田は次第に感情論に走り民族的特質を強調するようになった、と解釈されてきた。
 これに対し本発表では、フローレンツが上記詩集の再版時(1896年1月)に新たに加えた序言や、論争と同年の1895年に出版した翻訳書Japanische Dichtungen. Weissaster(『日本の詩歌―孝女白菊』)に付した序言に注目し、これを上田との翻訳論争と関連付けて分析する。序言はいずれも、その執筆時期が翻訳論争の最中または直後であることから、上田が提起した批判や反論を念頭にして書かれたと考えるのが妥当である。その内容は、論争時に述べた自説の反復の域を出るものではなく、フローレンツが西洋の文学理論に固執して自己正当化を図っている点に変わりはないものの、彼が『帝国文学』で行った主張を自らの翻訳書の序言で繰り返した(またその必要性を感じた)という点は、論争時の上田の反論にそれなりの正当性があったことを示唆するものである。こうした点に立脚して、本発表ではフローレンツの上田との論争の新たな解釈を試みるとともに、彼の翻訳姿勢に潜む西洋中心主義的な態度を明らかにしていく。