ミズノ ヒロコ   MIZUNO Hiroko
  水野 博子
   所属   明治大学  文学部
   職種   専任教授
発表年月日 2017/05/21
発表テーマ 1945年以後のオーストリアにおける国民創出の試み ――戦争犠牲者援護政策を例に――
会議名 第67回日本西洋史学会
主催者 第67回日本西洋史学会準備委員会
学会区分 全国学会
発表形式 口頭(一般)
単独共同区分 単独
開催地名 一橋大学国立西キャンパス
概要 本報告の目的は、第二次世界大戦後の国家再編過程において、「オーストリア国民」が「犠牲者国民」として創出されるための政治イデオロギーと、これらの試みが成立するための諸条件を解明することにある。その際、1945年以後に整備された「戦争犠牲者扶助(Kriegsopferversorgung)」政策の史的展開に着目し、「戦争犠牲者」という社会カテゴリーに分類された人々が、いかにして戦後のオーストリア社会=オーストリア国民に統合されたかを明らかにする。そして、彼ら、彼女らの国民統合の過程で、「犠牲者国民」という(想像された)自己規定概念は、どのようにして実態的な要素を獲得することになったかを考察する。ここでいう「戦争犠牲者」扶助政策(Kriegsopferversorgung)とは、もともと第一次世界大戦で犠牲を払った人々に向けてつくられた「戦争犠牲者支援」政策(Kriegsopferfürsorge)を起源とする。これが、1945年以後は国政レベルの社会福祉立法の一部として再編・改訂され、戦争傷病者当人はもとより、(多くは女性と子どもが該当する)戦没者遺家族に向けられた、公的扶助(Versorgung)の性格を強く帯びることとなる。対象となりうる補償の範囲は、軽度の傷病手当等一時的な経済支援から職業生活への復帰支援、さらには種々の「年金」等より恒常的な生活保障に至るまで、社会福祉制度の整備と深く連動する内容に及び、国家再建期の国民統合を生活・福祉の面で促進する重要な役割を担っていたと思われる。とはいえ、ナチ期に適用されていたドイツ第三帝国の法律と戦前および戦後のオーストリアの法律とでは「犠牲」の度合いを測る尺度や基準が違っていたため、「戦争犠牲者」として認定された人々の間にもある種の不公平感が生まれかねないなど、「犠牲者国民」の創出は決して容易ではなかった。さらには、「ナチの迫害の犠牲者」との関係も極めて複雑であった。そこで本報告では、とくに戦後初期における戦争犠牲者扶助政策の立法過程ならびに運用面での実践例を検討し、誰が、どのような補償を受けられたかという問いにアプローチしてみたい。